波乗りに関すること色々。

Dane Reynolds(デーン・レイノルズ)プロフィール

サーファー特集

デーン・レイノルズ(Dane Reynolds)
生年月日:1985年9月7日
出身:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ
身長:183cm
スタンス:レギュラーフッター

デーン・レイノルズは、カリフォルニア州ベンチュラ在住(2017年4月現在)のショートボードのプロサーファーである。

アクロバティックで斬新なマニューバー、コンペよりもフリーサーフィンを好む姿勢、「go for broke(いちかばちかやってみる)」というライディングスタイルは多くのサーファーに影響を与えている。

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サーフィンとの出会い

大抵のプロサーファーは、幼少期からずっと海沿いでサーフィンをしながら育ったというパターンが多いが、デーンはこれに当てはまらない。

デーンはカリフォルニア州ロングビーチで生まれ、ロサンゼルス郡南東部に位置する都市ダウニーで育った。その後、5歳の時、カリフォルニア州中南部に位置する内陸の都市、ベーカーズフィールドに移り住んだ。サーフィンを始める前は、体操や水泳、スケートボードをしていたらしいが、これらが後のサーフィンスタイルに少なからず影響を与えていると思う。

デーンが9歳の時、親友が海沿いの町であるベンチュラに引っ越したため、その年の夏休みはデーンもベンチュラで過ごした。その時にデーンはサーフィンを始めた。

その後、デーンの父・トムが仕事で昇格し、ロサンゼルスに勤務することになった。サーファーでもあったトムは、当初、ロサンゼルスに近いハンティントンに住むことを決めていた。だが、デーンは父トムにベンチュラに引っ越したいとしつこく言い続け、結果、デーンが10歳の夏、家族でベーカーズフィールドからベンチュラに引っ越すことになる。

トムは毎日ベンチュラからロサンゼルスに通勤する羽目になったが、デーンは多くの時間をサーフィンで費やすようになり、学校が始まる前にサーフィン、そして放課後も暗くなるまでサーフィンという生活を送っていた。

子どもの頃からデーンと一緒にサーフィンをしていた、キース・マロイ(Keith Malloy)はこうコメントしている。「デーンも他のグロム※1達と同じようにうにサーフィンをしていたよ。でも、一緒にサーフィンに行って、僕がその後昼食を食べて3時間後に戻ってきてても、彼はまだ海の中にいるんだよ。クレイジーだよね。子どもの頃の彼は海から全然あがってこなかった。一日中サーフィンしていたんじゃないかな(笑)。」

※1・・・グロムは「GROMMET」の短縮語。 GROMMETとはサーフィンやスケートボードなど横乗り系のスポーツを楽しむ若者を指す。

アマチュア大会やスポンサー契約

デーンの1、2歳年上に当時ベンチュラのサーファーの中で頭角を現してきていたGeoff Brackがおり、ベンチュラに引っ越したレイノルズ家の近所に住んでいた。

デーンが12歳の頃、Geoff Brackに連れられてデーンはチャネルアイランズサーフボードの合同トレーニングに参加した。チャネルアイランズサーフボードの合同トレーニングは、毎週火曜日にカリフォルニア屈指の波質を誇るRinconで行われていた。Rinconはライト方向(沖から岸を見たときに右方向)にブレイクしていくが、ライダー達は反対のレフトブレイクでトレーニングを行っていた。

デーンは黄色のスポンジボードに乗って合同トレーニングに参加したり、運営を手伝ったりしていたが、徐々にアル・メリック達の目に留まるようになった。結果、チャネル・アイランズはライダーとしてデーンをスポンサーするようになった。

デーンがサーフィンの大会に出はじめたのは13歳の頃で、アマチュアサーフィンの大会を主催する組織NSSA※2(National Scholastic Surfing Association)の大会に出場し始めてから2年も経たないうちに2位に入賞するなど、徐々に頭角を現すようになる。

15歳のころには2つのNSSA国内トーナメントで優勝し、何社かのスポンサーもつくほどであったが、学校の欠席が目立つようになり、在宅講座に切り替えた(デーンは後に、「サーフィンのために高校を中退したのは、馬鹿な選択だった」とコメントしている)。

※2・・・NSSAは学生を対象としたアメリカの非営利団体である。会員の学業をアシストしつつ、サーフィンの大会を通じてサーフィン技術を発展させることをミッションとしている。NSSAの大会は、WSL(旧ASP)ワールドツアー入りを目指すアメリカのサーファーにとって、登竜門のようなイベントとなっており、NSSAでタイトルを取ってから、WQS(World Qualifying Series)入りするケースも多い。

デーンがクイックシルバーと初契約を結んだのは、17歳であった2003年のこと。その後、ケリー・スレーターを筆頭に、世界各国のクイックシルバーのライダーを集めてサーフトリップを収録した「Young Guns2」に、19歳のデーンが登場することで、デーンの才能が広く知られることとなった。

ただ、デーンが一番魅力に感じているのはフリーサーフィンであり、コンテストでタイトルを取ることには情熱を感じておらず、そのことに葛藤を感じていたようだ。
「コンペに勝つことは自分にとって大切なことではない。(コンペに勝つことを重要視すると)サーフィンは退屈になると思う。」

「19歳くらいの時、自分のキャリアについて考えたんだけど、ワールドチャンピオンになる重要性が全く分からなかった。それは単なるタイトルで、単なるトロフィーだな、って思ったんだ。」

「無難なターンをして7ポイントを獲得するためにわざわざビーチに向かうことは、僕には意味のないもの。僕はスポーツとしてのサーフィンではなく、アートとしてのサーフィンが好きだ。一定の基準にサーフィンを限定するなんて、ばかげてるよ。」

プロ大会での主な戦歴

2003年と2004年のX-Gameで優勝。2008年からASPの World Qualifying Series (WQS) に参戦し、ジョーディ・スミスに次ぐ2位という成績を残した。これによってWCTの順位が19位となり、2009年のWCTでは10位にランクインしている。

2010年にはWCTで4位までランクアップしたが、2011年は膝の怪我によりWCTツアー初戦から3イベントを欠場した。そして、同年12月、26歳でWCTツアーサーファーを辞め、フリーサーフィンやサーフィン映像におけるキャリアを選んでいる。

その後も、デーンの人気は留まることは無く、WCTの大会にワイルドカードで出場したり、フリーサーフィンを収録した映像を多く出すことにより、世界で最も影響力のあるフリーサーファーとしてみなされるようになる。

近年の動向

2015年11月、アメリカのクイックシルバーが破産申請したことにともない、デーンも長年のメインスポンサーであったクイックシルバーとの契約を解消した。余談ではあるが、この契約はデーンがツアーを引退した2011年から2017年までの6年契約で、複数の海外サーフメディアによると、スポンサー料は年間300万ドル超(当時為替レートで3億6千万円以上)だったと言われていたが、契約途中で解消したかたちとなる。

もともと「Summer Teeth」というブランドを立ち上げていたが(東日本大震災の際、Summer Teethの売上げ全てを被災者に寄付)、2017年には「Former」というアパレルブランドを立ち上げ、本格的に動いていくようだ。また、デーンは自らボードをデザインすることにも精力的で、チャネル・アイランズ サーフボードにて数々のモデルを発表している。

【クリックで別記事に飛びます】アル・メリック【 サンプラー(sampler)】のインプレッション

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