波乗りに関すること色々。

Taj Burrow(タジ・バロウ)プロフィール

サーファー特集

名前:タジ・バロウ(Taj Burrow)
生年月日:1978年6月2日
出身:西オーストラリア バッセルトン
身長:175cm
スタンス:レギュラーフッター

タジ・バロウは西オーストラリア出身のプロサーファーである。トップアクションのキレは凄まじく、クイックな動きが特徴である。今では多く見られるマニューバーであるエア・リバースも、タジが先駆けであった。

身体の大きさは日本人とそれほど変わらず、体型の見た目もややぽっちゃり気味。にもかかわらず、もの凄いサーフィンを見せるという点や、人生に対してポジティブな姿勢、ビール好きという点から、個人的に大好きなサーファーの一人である。デビュー当時から革新的なサーフィンでファンを魅了してきたタジ・バロウのプロフィールを紹介する。

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サーフィンとの出会いからWCTクオリファイまで

タジは西オーストラリア州のバッセルトン病院で生まれた。両親はカリフォルニア州サンディエゴからオーストラリアに移住したサーファーで、一人息子のタジがサーフィンを始めるのは必然的なことであった。

幼いころは、俳優か戦闘機のパイロットになるのが夢であったが、10歳のとき赤色や緑色をうまく識別することができない色覚異常であることが分かり、パイロットの夢を断念している。

I’ve been fortunate enough to work with some incredible shapers over the years. This is the first chapter of my career on @mcsurfboards. #1997

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タジが育ったエリアはYallingup(ヤリンガップ)という地域で、ワールドツアーの開催地としても有名なMargaret riverから車で20分ほどの距離に位置する。人口は少ないものの、パワフルなビーチブレイクから危険なロックブレイクまで、波のバリエーションに恵まれたエリアである。

タジがサーフィンを始めたのは、7歳のとき。父親のお古である6’3のサーフボードのテールをカットして、長さを短くしたものに乗っていた。サーフィンを始めて2年後、タジが9歳の時、ローカルコンテストの18歳以下の部門で優勝。その後は、オーストラリア内外のジュニアコンテストを回るようになり、ほぼ負けなしという状態であった。

16歳の時、オーストラリアのナショナルジュニア部門でチャンピオンとなり、17歳でプロジュニアの大会で優勝している。また、オーストラリア国民の中でスポーツの才能や功績が認められた若者に贈られるYoung Australian Sportsperson of the Yearも獲得している。人生の早いタイミングから才能を開花させた、いわゆる天才サーファーである。

Throw back to when I was a small fry! Riding @mcsurfboards 🙂 It’s finals day here in yallingup and the groms are dominating shallows! @surfing_wa @billabong @billabong_australia @globebrand @modomsurf @vonzipper @bondizinc @mayhemb3_mattbiolos @countrywaves

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Busselton高校を卒業した1997年、タジは当時最年少の18歳でWCT(World Championship Tour:世界のトップサーファーが世界チャンピオンタイトルを争うツアー)の出場権を得た。しかし、「ツアーを全面的にフォローするにはまだ早すぎる」としてWCT入りを辞退した。WCTに入るチャンスを辞退するのは、当時とても珍しいことであったが、世界タイトルを獲るためのコンペティターとなるには、もっと時間が必要であるとタジは判断したのである。

WCTツアー戦歴

1年後の1998年、タジは再度WCTにクオリファイし、ツアーにフル参加。結果12位でフィニッシュし、Rookie of the Year賞を獲得した。その次の年の1999年は、Occy(Mark “Occy” Occhilupo:マーク “オッキー” オクルーポ)がWCTの舞台にカムバックし、世界チャンピオンを獲得した年であったが、タジはオーストラリアとブラジルの2戦で優勝し、オッキーに次ぐ2位でフィニッシュしている。WCT2年目にして、残る目標は世界チャンピオンを獲得するのみとなったのである。

しかしながら、その後2年間の順位は下降傾向となり、2000年は6位でフィニッシュ、2001年は順位を大きく下げて35位でフィニッシュしている。

タジは2001年11月、サーフウェアブランドであるBillabong:ビラボンと年間6万5000ドルの6年契約を結んだ。彼の他のスポンサー契約に加えて、本の出版やフィギュア、コンテストの賞金などによって、オーストラリアで最も収入を得ているスポーツ選手の1人に数えられている。

また、2002年からのツアー成績は回復、ブラジルのイベントで優勝するなどして、4位でフィニッシュ。その後、タジは世界チャンピオンの候補の一角として、常に上位にランクインする存在となった。以下に歴戦の結果を記載する。タジのように長年上位にランクインできる選手は、そう多くない。

2003年:3位、2004年:6位、2005年:7位、
2006年:4位、2007年:2位、2008年:3位、2009年:4位、2010年:4位、
2011年:4位、2012年:6位、2013年:5位、2014年:9位、2015年:16位

また、ツアーの18年間で、以下のWCTイベントにて優勝経験がある(合計11回)。
1999年:ブラジル Rio Marathon Surf International、オーストラリア Coke Surf Classic Manly
2001年:オーストラリア Quiksilver Pro Gold Coast
2002年:ブラジル Mundial Coca Cola de Surf
2004年:ブラジル Nova Schin Festival WCT
2007年:オーストラリア Rip Curl Pro Bells Beach、南アフリカ Billabong Pro Jeffreys Bay
2009年:ハワイ Billabong Pipe Masters
2010年:オーストラリア Quiksilver Pro Gold Coast
2012年:オーストラリア Quiksilver Pro Gold Coast、アメリカ O’Neill Coldwater Classic
2013年:アメリカ Hurley Pro at Trestles

使用サーフボード

Maurice cale(モーリス・コール)など様々なオーストラリアシェイパーの板に乗っていたようだが、中でもGreg Webber氏によるサーフボードに乗っていたことが有名である。

その後、Nev Hymanが立ち上げたFirewireサーフボードと契約し、大会で結果を出すことによってEPSボードが広く認知されるようになった。今となっては世界中で乗られているFirewireサーフボードだが、有名になるきっかけになったのはやはりタジが乗っていたことが大きい。

その後2012年にタジはFirewireとの独占契約を解除し、カリフォルニアのMatt ” MAYHEM ” BiolosがシェイプするLostサーフボードに乗るようになった。今もメインボードはポリウレタン(PU)を使用していることから、EPSはあまり好みでないと思われる。

WCTからの引退

19年目の2016年、37歳でタジはWCTツアーを引退した。理由としては、第一子が生まれたことと、昔ほど勝つことに対してモチベーションが湧かなくなったことを挙げている。

The only tunnel I could find today.

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世界タイトルを獲ることはなかったものの、今後はサーフ映像の発信やウェイブハンティングなど、サーフィンが人生の中心であることには変わらない模様。ツアー外での今後の活躍が楽しみである。

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